自殺未遂の思い出

こんなの書くことに意味はないんだけど、急にフラッシュバックして辛いので吐き出す。

 

8年前の今頃、高校生の時に自殺未遂をした。理由は…色々あり過ぎて自分でもうまくまとめられない。

中学受験を頑張って入った中高一貫校の勉強に中2あたりから付いていけなくなっていたこと。体育も苦手で惨めな思いばかりしていたこと。創造力もなく、得意教科は一つもなかったこと。クラスの雰囲気に馴染めなかったこと。女子校故、一人の女の子に恋愛感情に似た何かを抱いていたが、一切話し掛けることができなかったこと。唯一楽しかった部活を引退したこと。学校を休みたいと言えなかったこと。両親の関係が冷え切っていて家の雰囲気が最悪だったこと。母に自分の考えを否定されることが多かったこと。ストレスから隠れてお菓子を食べまくって太ったこと。母が私が太ったことを冗談めかして友人の親に言っていたことを知ってしまったこと。目が細くへの字口、そしてパンパンに肉の付いた自分の顔が大嫌いで鏡を見る度に自分のブスさに打ちのめされていたこと。仲の良い友人は1人だけいたが自分の話しかしない子で私の話はあまり聞いてくれなかったこと。母に出て行けと言われたこと。誰にも相談できなかったこと。1回だけ子ども用の電話相談に掛けてみたが時間外という電子音のみ流れたこと。

一つ一つは大したことがないが、それらの積み重ねにより毎日が苦痛に満ちていて、自分には生きる価値がないと思った。終わりにしたかった。今思えば完全に鬱状態だが、眠れるし食べれるので精神科に行っても何も無いと言われるオチだろうと思っていた。

詳しくは書かないが、100錠ほどで致死量になる薬を見つけた。学校からの帰り道、ドラッグストアをはしごしてその薬を買い集めて吐き気止めも買い、家からは遠い大きい公園に行った。公園のベンチで飲み干し、夜なら誰にも見つからないような茂みに身を隠した。木の間から見える上弦の月が綺麗で、このまま死ぬんだなと思った。最後に、ストーカーのごとく監視していた好きな子のTwitterを見た。

薬が回ってきて鼓動が早くなった。そうしたら、急に、あんなに望んでいた死がとてつもなく恐ろしくなった。とにかく何かから逃げなければいけないと思った。フラフラする頭と足で文字通り必死に公園を出て、駅を目指した。しかしわざわざ家からも駅からも遠い、1回も行ったことのない公園を選んだせいで道が分からなかった。よだれが止まらず、人のいない暗い道を歩きながら何度も吐いた。連絡がとれず心配したらしい母が(自分で出て行けと言ったくせに)、友人の親に助けを求めたらしく、友人から電話が来た。大丈夫?と聞かれたが薬のせいで思考はぐちゃぐちゃだし呂律も回らず大丈夫じゃないとしか言えなかった。コンビニがあり、トイレで吐こうと思った。しかし吐くことはできなかった。鏡で自分を見るとコートにはよだれだか吐瀉物だか分からない汚れがめちゃくちゃに垂れていた。それからそこのコンビニでは奇怪な行動をとってしまったようなのだが記憶も曖昧だし恥ずかしいので割愛。店員に冷ややかな目で見られながら退店し、ついに立っていられなくなり倒れた。通りがかった夫婦に救急車を呼ばれた。朦朧とする意識の中で、「大丈夫です」と繰り返していたことを覚えている。全然大丈夫じゃないのに。

 

その後、優秀な日本の医療により命を救っていただき、薬の影響から妄想や幻聴で錯乱した私は精神病棟の保護室にぶち込まれましたとさ。

 

振り返ると、今それなりに生きていけてることが奇跡に思える。

この時に地獄の苦しみを味わったため、生還後から現在まで、どんなに希死念慮が出ても自殺未遂はしなかった。